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2011年3月11日の写真父さん一家

どうも、写真父さんです。過去日で更新しております。

2011年3月11日(金)14:46。日本に住んでいる人間にとって忘れられない日となった。東日本大震災。当時、我々写真父さん一家が何をしていたか。

地震当日の朝 NATURA
地震当日の朝

結論から言ってしまえば我々はその時、奄美大島にいたのである。
3月11日AM11:00羽田発の飛行機で奄美大島に到着したのが13:30。地震の1時間46分前。
我々は奄美大島空港に到着した。

機内にて NATURA
機内にて

到着後荷物を取り、予約してあったレンタカーを借り、昼食をとりに空港から数分の"ばしゃやま"で奄美名物の鶏飯を食べた。

地震の時間頃の奄美大島 NATURA
地震の時間の奄美大島

地震の数分前に千葉県の印旛村に住む母に写真付きで到着をメールで報告。
食後目の前の砂浜で東北関東で起こっている大惨事のことは何も知らずに遊んでいた。
神奈川大学陸上部の女の子も海と戯れていたっけ。

遊んでいると町中に津波警報のアナウンスが流れる。なぜ津波なのか?周りの人々は何もないかのようにその放送を気にする人はいなかった。我々もラジオ等何も情報を得ずそのアナウンスを気にすることはなかった。今思えば不思議でたまらない。

その後夕方に宿泊先に到着し、テレビを見るまで大惨事のことを知ることはなかった。

大変なことになっている。みんな無事か?
テレビでは津波被害や火災の映像、死者や行方不明者がどんどん増えていくテロップが流れる。
関東地方の電車が全線ストップ。電話も通じない。大変なことになった。
そこで我々はやっと津波警報の理由を知った。18:00頃宿泊先に到着するまで何も不思議に思わず、津波のアナウンスが流れる町、アナウンスをしながら走る車、変わりのない奄美大島の人々。何も気にせずただ車を走らせていた。

古仁屋港 NATURA
古仁屋港のコンテナ

我々は地震の数時間前に羽田から奄美大島へ飛んだ。
ここにいていいのだろうか?連絡も取れず、奄美大島では何もできないままテレビにくぎ付けだった。

増え続ける死者。
複雑な気持ちで奄美大島の一日目が始まったのである。

木々

5日間奄美大島に滞在。テレビは地震、原発のニュースだけ。

「ここにいていいのかな?」
「いいんじゃない、せっかく来たんだから」
いつの間にか人並みに会話をするようになった王子になぐさめられながら結果的には満喫した奄美大島。

5日間の奄美大島旅行を何回かに分けて更新したいと思います。
忘れないように。

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